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加曽利貝塚

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千葉県が誇る国内最大級の縄文時代中後期の貝塚「加曽利貝塚」。2017年6月16日には特別史跡に指定され注目を集めている。では、この加曽利貝塚はなぜここまで注目され、また重要視されているのだろうか?縄文時代において欠かすことのできない重要なパーツ、加曽利貝塚を詳しくまとめてみた。

概要

加曽利貝塚は千葉県千葉市若葉区桜木町に位置し、現在は「加曽利貝塚公園」として保存・整備され市民に公開されている。加曽利貝塚直径140m縄文中期の北貝塚、そして直径190m縄文後期の南貝塚と二つの貝塚が8の字のように連結して成り立っている。史跡全体の規模は約15万平方mにもなる。もともと初期の貝塚の上に少しずつ積み重なっていき現在残されているほどの巨大な規模へと拡大していった。というのも国内において貝塚が集中している地域は東京湾沿岸で千葉県が約120箇所も集中していることから、もともと貝塚の作られやすい背景があったことが推測される。

遺構

確認されている遺構は貝塚だけでなく竪穴式住居も確認されている。住居趾の特徴としては中期後期と広い範囲で散在し、広く展開されていた。また住居趾の一例として複数の人骨が残されている住居趾が存在しているものがある。もう一つ、縄文早期頃の炉跡も存在し、長い頃よりこの地域には人々のいた形跡が確認される。

出土遺物

出土された遺物は土器、土製品、石器、アクセサリー類が確認されている。貝塚からは貝類、魚類、木の実類が見つかっている。 詳細にすると、土器は「加曽利E式土器」「加曽利B式土器」「堀之内式土器」「浅鉢」「注口土器」、土製品として土偶が、石器は「石鏃」「磨製石斧」「打製石斧」「石棒」「独鈷石」などが確認されている。またアクセサリー類は石製と貝の「貝製腕輪」がある。他にも骨角器があり、幅広いバリエーションがあることを感じさせられる。

次に貝塚より確認された物だが、アサリ、ハマグリ、カキ、イボキサゴといった貝類と、クロダイ、スズキといった魚骨、クリ、クルミ、クヌギの木の実が確認されている。

諸説

加曽利貝塚干し貝を生産していた工場があったとする説がある。というのも千葉県が「石なし県」と揶揄されるように石がない地域であり、それは縄文時代においても同じであった。縄文時代においてはタンパク源を得るためにも狩猟は欠かせない。そのため狩猟に用いれる良質な石材は重要だった。なので石材を入手するために考えられたのは「交易」という手段。加曽利貝塚が位置している地域は湾岸より近く貝を入手しやすい。それは加曽利貝塚の重層な貝層からも証明される。この貝を入手して干し貝にし、良質な石材を持つ地域と交換する。良質な石材を持つ地域は黒曜石ならば長野の和田峠や星糞峠に代表されるように山合いの地域が多い。この地域では塩分の入手が困難なため干し貝など塩分を含んだ食材を重宝する。このため両者の合意が形成され干し貝を生産することで石材を入手していたとする説がある。また、このことから、あの大量な貝は食料としてではなく交易のためであるとも考察することもできる。

現在

加曽利貝塚は全部で13回も発掘が行われているが未だに7%ほどしか完了していない。特別史跡となった後でも今後も調査が続けれられるだろう。

まとめ

加曽利貝塚は考古学の学史上においても非常に重要な位置を占めている縄文時代貝塚だ。また公園として整備され復元住居も見ることができる。公園内においては加曽利貝塚博物館が所在し、加曽利貝塚において確認された遺物を展示し、各種の体験やイベントが行われている。加曽利貝塚に興味のある方は足を運んでみてはいかがだろうか?

【縄文時代の謎】実はまだ分かっていない……この遺物はどのように使用されたのか?

遺跡から出土された遺物を見たことがある方にとって、この遺物は昔どのように使われていたか、ある程度イメージして理解できると思います。しかし、出土された全ての遺物がイメージによってどのように使われていたか分かる訳ではありません。

研究者が長い間見てきても、遺物の中にはどのように使用されていたのか分からない物があります。

今回は皆さんが知っているあの有名な遺物から、以外な遺物まで、実は使用方法が分かっていない遺物をご紹介します。

土偶

教科書でも有名な遺物『土偶』は、実は何のために作られて、どのように使用されていたのか分かっていません。

東日本で多く見つかっており、縄文時代早期から晩期にかけて見られます。特に早期では表現が簡素で小さい土偶ですが、晩期になると大型で細部まで表現されており、地域によって特色が表れてきます。

土偶偶像崇拝のようにアニミズム的に信仰されたとも考えられ、また女性的な特色から出産、または動植物の繁殖や豊穣への祈願だとも考えられていますが、ほとんどの土偶が完全な形で発見されることなく、一部人為的に破壊されている事から、人の悪い部分(病気や怪我)の身代わりとして使用されていたとも考えられています。

それを裏付けているように、出土されている土偶は集落の外より確認される場合があり、大切にされてきたかは疑問視が残る場面があります。

また逆に土偶が副葬品として墓に埋葬されている事例があり、一概にどのように使用されていたのかも不明です。

さらに、乳房の表現、乳児を抱く土偶やお腹が大きくなっている表現から土偶が「女性」というイメージを多くの方が思っているかと思いますが、実は男性器を持つ土偶も数例ですが確認されています。

このように、もしかすると土偶は現代人には到底想像できない、縄文人でしか分からない常識が備わっている物なのかもしれません。

独鈷石

名前に特色を感じる方も多いと思いますが、縄文時代で確認された石器の1つです。おそらく教科書でも話題にならない石器なので知らない方も多いかと思います。

何故このような名前になったのかというと、仏具の「独鈷」に似ているということでこのように名付けられました。また独鈷石以外にも「雷鼓」や「石鈷」、「両頭石斧」とも呼ばれます。

この独鈷石の特徴は両端が尖った丸い頭状になっており、中央部の2つの隆起した二条の帯目があります。長さは10〜20㎝内外で主に安山岩で作られており、東日本に多く確認されています。使用された時期は縄文時代後期から晩期にかけて、特に晩期でよく発達されました。他にも時期や地域によって形状が変化しています。

使用については色々な説があります。まず一つが呪術的な要素。呪術の儀式道具として使用された非実用的な物ではないか?とする説。

また、帯目に着柄して石斧のように打つために用いられた実用的な物ではないかとする説があり、まだ分かっていません。

本当のところはどうなのでしょうか?

石製品・土製品

少し具体性に欠けますが、縄文時代の石製品や土製品も使用用途が分かっていない物が多いです。

では一体どのような物が石製品と土製品に当たるのか?

三角形や円盤状をした石製品や、土版、または人頭形それと動物土偶とも呼ばれるイノシシやクマを形どった物やキノコや貝を模倣した土製品など、これらの物は使用用途が分かっていません。

おそらく実用品としてではなく非実用品、呪術など祭祀に使われたと考えられるのですが、本当のところは一体どうなのでしょうか?

まとめ

いかがでしたでしょうか?まさかあの遺物の使用方法が分かっていないなんて、驚いた方もいらっしゃるかもしれません。もしかしたら、私たちが知っているあの遺物も、実は全く違う使用方法だったということもあるかもしれませんね。

【面白い!】世界で戦争が起きた経過が映像で丸わかり!!

今まで世界で何回戦争が起きただろうか…今年で2017年となり、終戦の1945年から72年経ちましたが、一向に世界から戦争が無くなる気配はありません。今回はYouTubeで面白い動画を発見しました。コレを見てみると、どうやら意外な事実が見えてきそうです。


世界の戦争と日本の戦争

日本で戦争が初めて起きたのは弥生時代からです。稲作という蓄える資源を持つことで貧富の格差が生じることで争いが発生したとされます。考古学的にも武具や防御施設、外傷が見られる人骨からも明らかです。

しかし弥生時代が起きる前より、世界では早くに文明が花開いていました。ということは、日本が縄文時代の時には戦争は世界各地で起きてあのでしょうか…?


動画が証明する世界の戦争


まとめ

動画を見てみると、世界ではかなり熱心に戦争を起きていたのが見てとれますが、特にヨーロッパを中心に戦争が拡大しているようなイメージも浮かび取れます。特に第一次世界大戦の時の大爆発は、これまで溜め込んでいたものが一気に噴き上がるのを感じました。

ヨーロッパでは何故こんなに戦争が起きていたのでしょうか?このサイトでは世界史を取り扱うことはありませんが、気になる方は一度調べてみるのも面白いかもしれませんね!

【世界遺産か!】世界遺産候補として勧告された『宗像・沖ノ島』についてのまとめ

まさかの『宗方・沖ノ島』が世界遺産への第一歩へ。しかし考古学にあまり詳しくない方では、一体どんなところで何が凄いのかイマイチ理解できないはず。今回は未来の世界遺産『宗方・沖ノ島』についてまとめてみました。


『宗方・沖ノ島』とは?

絶海の孤島で神職1人しかいない島『沖ノ島』。4世紀後半から10世紀と、古墳時代から平安時代頃までの大和王権の祭祀施設の跡が確認されており、古代より中国と朝鮮からの対外交流の重要航路ということで海上航路を守る神の島として多くの人々に信仰されてきたことが伺えます。

また、島からは鏡や玉類、武器、馬具などの国宝や中国や朝鮮製の品々など国際色豊かな遺物も確認されており、その考古学的な重要性から国指定となっています。

ちなみに豊かな遺物の数々から、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれているそう。

現在も裸になって冷たい海の中で禊ぎを行うなど、古くからの信仰を守るなど伝統的な側面が根強いです。

ちなみに女人禁制で、島に入っても島のことを一切喋っちゃダメらしい。しかし沖ノ島の情報について調べれば知ることができる時点で今さら感が僅かに感じられるのは何故だろうか……?


誰でも沖ノ島に行けるの?

男性なら行けます。男性で根性がある人のみですね……冷たい海を我慢できる人、沖ノ島が待っています。

ただ行けるとしても年に一回の大祭のある5月27日のみ。しかも抽選だって!

倍率は結構高め。200人くらいしか応募しないそう。

必要なのは運と根性ですね!運と根性がある方、早く! 噂だと募集した途端にすぐ埋まっちゃうらしいです。もし早く沖ノ島に入りたい方は早めに!


ちなみに沖ノ島で行われる大祭は日露戦争の「日本海海戦」が関係しているらしい。沖ノ島と全く関係ないじゃんと思いきや、実は沖ノ島では日露戦争当時に陸軍の砲台や海軍の拠点などの施設が作られ、現在もその跡が残っているそう。

その大祭は、この日本海海戦で戦没した慰霊のためらしいですが、その為に来ている人は一体何人いることやら……

戦争の生々しい記憶が、一般人が上陸できるキッカケを作っているとは、皮肉ですね。


世界遺産になるための問題点

世界遺産への候補となりましたが、問題点があります。それは「女人禁制」ということです。

女性の差別から、世界遺産になるのは難しいと言われてきましたが、今後どうなることやら……地元では女人禁制は差別ではなく「伝統」であると主張しています。

ただ世界遺産に含まれた中には女人禁制もあるので、勧告も受けたし特に心配する必要もなさそうですね。

ただ時代の流れで、何だか変わっていきそうな予感もするような……まぁ男性でさえ簡単に入れるような島ではないですし。

ちなみに何故「女人禁制」なのかというと、沖ノ島で祀っている女性の神様が嫉妬するからだとか……そりゃ恐い。


まとめ

今回また新たに日本で世界遺産が誕生されるというのは喜ばしい限りです。それと同時に、沖ノ島という考古学的な価値や沖ノ島民俗学的な価値について気づいていけば、もっと沖ノ島の魅力に引き込まれることでしょう。

例え行くことは叶わなくても、知ることだけでも価値はあるはずです。東京都民が東京タワーに登った事なくても東京タワーを知っているようなものです。
この例えはおかしかったかな……?

とにかく、沖ノ島は素晴らしいですね!世界遺産になることを心待ちにしましょう!!

【滅多にない!】殺された縄文人の事例を集めてみた!!

おそらく知らない人はいない縄文時代では、日本人が思うに原始的で生活に苦しいながりも、争いがなく平和な生活を送っていたと想像するでしょう。事実、縄文時代では争い、集団と集団同士の争いが行われた形跡が確認される遺跡はまだ確認されていません。

しかし、縄文人同士での殺し合いの事例は少なからずあるそうです。今回は滅多に起きることのない縄文人同士の殺し合いの事例を集めました。


平和だった縄文時代

縄文人は基本的に狩猟採集の生活を基本としており、村単位の生活規模も現在とは違い小規模なものでした。
また外敵に備える防衛的な要素もなく、かといって他の集団との交流が無いわけではなく、想像以上に広域なネットワークを形成されていました。

逆に弥生時代になると貧富の差が生じ、「戦争」という概念が入っています。

しかし戦争が無いはずの縄文時代でも殺人が起きたのなら人間って何なのかな……


縄文人の殺害事例

遺跡:場所:時代:死因
・三貫地遺跡 福島県相馬郡新地町 晩期 射殺
・伊川津遺跡 愛知県田原市伊川津町 晩期 撲殺
・保美貝塚 愛知県田原市保美町 晩期 射殺
・上黒岩岩陰遺跡 愛媛県上浮穴郡久万高原町 早期 射殺
・栄原1遺跡 北海道八雲町 前期 射殺
・宮野貝塚 岩手県大船渡市中期 射殺
高根木戸遺跡 千葉県船橋市 中期 射殺
・加曽利南貝塚 千葉県千葉市 後期 刺殺
・蜆塚貝塚 静岡県浜松市 後期〜晩期 射殺
・居徳遺跡 高知県土佐市高岡町 晩期 射殺
・粒江貝塚 岡山県倉敷市 中期 射殺
・太田貝塚 広島県尾道市高須町 前期〜後期 撲殺
・枌洞窟遺跡 大分県中津市 後期 射殺
・深堀遺跡 長崎県佐久市 晩期 射殺
・宮下貝塚 長崎県南松浦郡富江町 後期 射殺

(おまけ)
・栄磯岩陰遺跡 北海道島牧郡島牧村縄文時代 撲殺
・有珠10遺跡 北海道伊達市縄文時代 射殺



まとめ

まとめてみると、石鏃や槍による射殺が多く見受けられました。やはり遠くから狙う殺害の方が、いつの時代でもやりやすいのでしょうか?

縄文時代でも殺害があるのは意外ですが、そこには争いを生じえない何かがあったのは事実です。

その何かというのは、当時だったら食料や人間関係のトラブルではないでしょうか?

いづれにしても、平和に見える縄文時代だからといって殺人が起きないわけではないようですね。